とれんど☆さがし

服部匡志(眼科医)の経歴や病院について。結婚や年収もチェック!

   

服部匡志さんという眼科医をご存知でしょうか。
なんとフリーの目医者さんで、日本全国飛び回るだけでなく、ベトナムで活躍しているという方。最近医者週間か?というくらい、病院関係が続いているんですが(笑)どの方も研究熱心で立派なお医者様ばかりです。早速、服部匡志さんについても調べてみましたー。

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服部匡志さんのプロフィール!

服部匡志

http://www.asia-assist.or.jp/

服部匡志(はっとりただし)
1964年:大阪生まれ(42歳)
1993年:京都府立医科大学医学部卒業
同 年:京都府立医科大学眼科レジデント
1994年:多根記念眼科病院勤務(大阪)
1996年:愛生会山科病院勤務(京都)
1997年:出田眼科病院勤務(熊本)
1998年:聖マリア病院眼科(福岡)、海谷眼科(静岡)勤務
2002年:ベトナム国立眼科研究所網膜硝子体手術指導医
2004年:同研究所客員教授

父親を胃がんで亡くしてから、医者の道を志すようになる。父親の入院中に医師の心ない言葉を受けて、患者の心の痛みのわかる医師になりたいと決意した。4年間の浪人生活を経て京都府立医科大学の医学部を卒業後、フリーの眼科医となる。ヒゲ面の外見から「ベトナムの赤ひげ先生(赤ひげ眼科)」とも呼ばれる。

高校2年生の時、お父様が胃がんとなり、その際医師から心ない言葉を受けたのが医師を目指すきっかけとなったようです。
それまで文系志望だった服部さん、それから4浪して(!)京都府立医科大学へ進学します。

また、外科を志望していた服部さんは、眼科の木下教授という方に出会い、その人柄に惚れて眼科を目指すようになったそうです。

多くの病院を経て、現在では、網膜硝子体手術の分野では日本のトップレベル技術を持つそうです。

そんな評価の高い先生が、どうしてベトナムに行く事になったのでしょうか。

2001年10月、母校である京都府立医科大学で開催された「臨床眼科学会」でベトナム人医師と出会ったことがきっかけだったようです。
そこで、ベトナム人の医師に、ベトナムでの患者の治療と眼科医の指導を懇願されたそうです。

ベトナムでは経済的に厳しい地域が多く、医師も少ないため病院で治療を受けられずに失明する人々が後を絶たないんだとか。たとえ病院に行っても手術費を払えずに諦めてしまうんだそう。

そこで、服部医師は、日本で使用している内視鏡をベトナムに持ち込んで、失明している多くの患者たちを救う医療活動をするようになったそう。
月給はわずか1万円ほど、器材も足りずに自腹で購入…

だから、日本でフリー医師として働き、収入を得ながらベトナムとの行き来をしているんですね。。

まさに「赤ひげ先生」ですね。

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服部匡志さんはどこの病院にいる?

ベトナムでの活動費や生活費を稼ぐため、日本全国の病院を飛び回っている服部先生。
いったいどこに行けば服部先生に診て頂けるんでしょうね。
網膜硝子体手術という分野ではトップレベルということですから、国内でも先生を求めておられる方は多いのではないでしょうか。

調べてみました。

岩手県盛岡市:谷藤眼科医院
福島県郡山市:今泉眼科病院
茨城県つくば市:さくら眼科クリニック
埼玉県飯能市:東飯能眼科
静岡県富士市:聖隷富士病院 眼科
東北大学医学部眼科学教室(大学院非常勤講師)

服部匡志さんは結婚してるの?年収は?

日本全国飛び回り、そしてベトナムとの行き来。
お子さんの情報は見つからずでしたが、結婚はされているようでした。

奥様とは当初、3ヶ月間という約束で、ベトナムへ送り出してもらったようです。
それが気づくと、何年??

服部先生もすごい方ですが、それを許している奥様はもっと素晴らしいと思います。

年収はというと、普通の眼科医ならもっとすごいんでしょうが…
情報によれば、もともと1億円くらい収入があったそうです!

それが、現在は400〜500万ほどだそう。
しかも、それのほとんどをベトナムでの医療費につぎ込んでそうですからね。
ご自身の生活は最低限のことだけ、って感じっぽい。

奥様と落ち着いて過ごす日々はやってくるんでしょうか。
いや、服部先生はきっと死ぬまでベトナムへ無償の愛を捧げ続けるのでしょうね。

本当にすごい方です。。

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